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近藤智美さんの「泉」を見ていたら、鈴木其一の朝顔に狂気を感じた理由が氷解した

先日、銀座ヴァニラ画廊で見た近藤智美さんの「媚ビ術研究」展、
山下裕二先生がリコメンドしていたので足を運んでみたら
いや面白かった!

五百羅漢図やキャバ嬢の絵、皮肉に満ちた「媚ビ」作品の数々
初期の会田誠さんの作品をほうふつとさせるものももちろん面白かったのですが
いちばんツボだったのが「泉」という作品でした。

↑すんません。写真撮影不可だったのでチラシから借用。
いわずもがな。デュシャンの「泉」を日本風に。利休の文脈で解釈した作品なのですが
しびれました。

利休とデュシャン。利休ってよくデュシャン的なことを何百年も前にやってた人、みたいなことが言われてますが、そのものずばりをバーン!と作品にしたのは、近藤さんの作品が初めてじゃないかな。。

ただ残念なのが、活けられていたのが「朝顔」ではなかったこと。
季節柄、しかたのないことですが、いややっぱり朝顔で見たかったなあ。。

で、この作品、作品自体もすごくよかったのですが、
自分の中で、ずっと不思議だったことが一つ氷解しまして。


それが鈴木其一の朝顔の絵になんであんなに狂気を感じるのか、怖く感じるのかってこと。

利休の朝顔のエピソード。有名ですが、一応転記しておきます↓


「秀吉は、利休の屋敷の露地に美しい朝顔が咲き乱れているという噂を耳にし、朝顔の茶の湯を所望しました。当日、秀吉が利休の屋敷を訪れると、庭の朝顔は一株残らず引き抜かれて、何もありません。あっけにとられながら茶室に入ると、床には見事な朝顔が一輪だけ入れてあり、これには秀吉も大いに感心したという話です。利休の大胆な趣向ですが、美しい朝顔をたくさん見せるのではなく、その中からよりすぐった最高の一輪だけを見せたのです。花の美しさを一種あるいは一輪だけに集約させることも、利休の茶の湯の花の特色であったと言えるでしょう。」

一般的な解釈は上記のとおりだと思いますが、
庭の朝顔をすべてつみとり、茶室に活けたのは「幾万もの首を刈り取り、一人咲いているのが、あなた(秀吉)である」という皮肉のようなものではないか?と解釈している方がいて、これがめっちゃ腹落ちしたわけです。


しかも、チラシに載っていた近藤さんの「泉」に活けてあったのは、濃い紫で、鈴木其一の朝顔図屏風の朝顔の色とも似ていて、ハっとしたのです。

私が以前感じたとおりあの朝顔は「顔」なんだ。


と。

其一があの朝顔の絵を描いたときに、利休の朝顔の話が頭にあったとしたら。
「朝顔図屏風」=秀吉がやってくる前(利休に刈り取られる前)の朝顔
をイメージして描いた・・・なんて考えると、あの朝顔の絵がまたゾゾゾと魅力的に。

さらに、「秀吉に刈り取られた首」という文脈を重ねると、さらにゾゾゾと狂気を感じる作品に。

・・・やっぱり其一すごいと思いました。
また、見たいな。朝顔図屏風。

実は其一に関する本ってあんまり出ていなくて(だいたい琳派特集でまとめて紹介されていることが多い)、この別冊太陽は結構貴重な一冊だと思います。

というか別冊太陽って印刷も執筆陣も豪華だし、あんまりハズレがない気がする・・・。

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