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母からの卒業

1月の仕事はじめの日。

母と大喧嘩をしまして。。

ささいなことと言えばささいなこと。

仕事はじめでぼーっとしてたのか
自転車の鍵を、オフィスのデスクに
おいてきてしまったのです。

夕方、地元駅の自転車置き場について
気が付いたのですが
うわ、これじゃ保育園のお迎えの時間に
間に合わない。

すぐに母に電話して
自転車の鍵のスペアキーを持ってきてもらうことにしました。

母親は相当怒っていて

「あんた何ぼーっとしてるのよ!」

「あんたは子どものころから
いつもそうだった。
頭のネジが一本ぬけんてるのよ!!」」

「馬鹿も休み休みしなさい」

「しっかりしなさい」

と罵倒されまして。

(しかも超寒い日でした)

「何もそんな風に言わなくたっていいじゃない」
「こっちだって気を付けてたけど
忘れてしまったんだから仕方ないじゃない」

寒い中
母からなんどもなんども
ネチネチ言われて
私も頭に来て

「お母さんは、子どものころから
そうやって私のことを蔑んできた。
私のことを褒めたことなんて
一度もなかった。
それが嫌で嫌で仕方なかった。
なんでそういうことを言うの」

(夫の手助けもほとんどなく
私一人でなんでこんなに頑張らなくてはいけないの?)

「しっかりしたくない」
と言ったところ

母もブチ切れまして

「もう夕方来ないことにする」

と言い出しました。

その日はいったん帰ったんですが
母の言葉がずっと気になっていて

その日の夜に母に電話しました

「あの日のことは私も悪かったと思う」
「でも、他人に対して「ネジが一本抜けてる」
というのはあまりにひどい言い方だと思う。
失礼だと思う。謝って欲しい」
と伝えたところ。。

「私は謝るつもりなんかない。
「ネジが一本抜けてる」という言葉は
あなたにとって最も適切な言葉だと思うし
それを訂正するつもりも謝罪するつもりもない」

と言われまして。

さすがに
私も頭に来まして

「もう夕方来ないでください」

と伝えました。

母ももう後期高齢者で
夕方来るのがしんどいと言っていたので
潮時かなあと思いましたし

いつも夕方来てもらうことで
どこか母を頼りにし過ぎていたところがあると思いました。

それと
(これは来ないようにしてもらってから気づいたことですが)
自宅に母が来ないと
ほんとにほっとするんですよね。

母がいることでやはり娘へのケアとか会話とか
母への気遣いとか、結構なストレスを感じていたことにも気づきました。

それと何より。。
家の中を勝手にいじられなくなったのがよかった。。

母としては好意でやってくれてたんでしょうが
棚の中を勝手に整理したり
掃除したり。

これ、あるといいかなと思って、と
いろいろものを持ち込まれるのが
実はすごいストレスフルでした。

帰宅して
(当たり前なんですが)
いろんなものが動いてないと
ほんとほっとする自分を発見しまして。

ああ、知らないうちに
母の好意に甘えつつ
嫌なことは嫌と言えないようになっていたんだなと
気が付きました。

このほっとする感じ、解放感。
自分が一人暮らしを始めたころの感じに似ているなあと
思いました。

そう、わたし
この人の束縛が嫌で一人暮らしを始めたんだ。

思い出しました。

今は
何か用事があるときに
少し会う程度にして

基本的には会わないようにしています。
以前は外出するときに
母に子守をお願いしていましたが
これも基本的にやめました。
夫に見てもらって
どうしても、というときの手段としてとっておくことに。

母も
私が頼りすぎてることに
気づいていただろうし
今回の発言も
そういうことが背景にあったのかも
と思うと
ありがたいな
と思います。

私も
親から自立すべきだし
親も私たち家族から自立すべきだし

当たり前なんだけど
そんなことに気付いた1月でした。

たまたまなんですが
ちきりんさんも
親子それぞれの自立について
興味深い記事を書いてました。

この記事を読んだことも
今回の自立の後押しになった
気がします。

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