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山田純嗣展 「絵画をめぐって 死んでいるのか、生きているのか」@不忍画廊 2

山田純嗣さんの言葉

「映画研究では、何が描かれているかより、何が描かれていないかに気づく事が大切だ」

この言葉が山田純嗣さんの作品のすべて(?)を語っている気がします。

山田さんの作品は、

まず作りたいもの(今回の場合、古今東西の名画)を
立体物として制作し、
それを写真撮影して
その撮影した作品に銅版で細密な線を重ねるという
気が遠くなるような手間をかけて作られます。

今回はミレイ「オフィーリア」や雪舟「慧可断臂図」、同じく雪舟「天野橋立図」などが展示されていましたが
やはり圧巻だったのはボスの「悦楽の園」。

絵も巨大でした。
というか巨大じゃないと分からないと思いますw

ボスのあのへんてこな動物やら人間やら妖怪やら建物やらをすべて立体物(色は白です)で作成し
それを撮影。。もうこれだけで頭がクラーっとしてきそうなのですが
これらが印画紙にプリントされ、それに銅板で超美しい描き込みが施され
目の前に現れると、これがなんともいえない不思議な既視感に襲われるのです。

目の前にあるのは有名なボッスの「悦楽の園」。
だけとそれは白だし、書き込みがされてるし、別物なんですね。

それに自分の意識に刷り込まれたボッスの「悦楽の園」のイメージが重なる。
それでもって
作品は、白の立体物(模型)撮影したものだから、陰影の感じとかも微妙にアレンジされていて
遠近感もなんだか不思議な感じなんですよ。

山田氏の想像し、創造した「悦楽の園」と、私のイメージする「悦楽の園」とが自分の脳内で合成されて
摩訶不思議な感覚に襲われるのです。

とういうか
そもそも、私のイメージする「悦楽の園」ってどんなのだっけ?と参照元の情報すら揺らぎそうになる
この感覚。
見た人にしかわからないと思います。

遠景というか、立体感みたいなものでいうと、雪舟の「天野橋立図」なんかもとても面白くて
オリジナルも遠近法がかなりむちゃくちゃなんですが、これにちゃんと立体で作った画像が
重なると、わけわかんなくなってきてw
今わたしが今見てる風景っていったい何なんだという気にもなってくる。
遠近感があるのにないみたいな。あれ遠近感狂っちゃってる?みたいな。

そんな不思議な感覚に襲われます。

古今東西の有名作品を「ホワイトの立体物(模型)」から作り出す。
なんか模写以上に模写な世界。
写経の世界にも通じるなあなんて思っていたら
当日会場にご本人がいらしてて。

お目にかかった印象は「修行僧のようにストイックな方」でした。
#実際髪型もボーズなんですが。。

作品の解説も丁寧にしてくださって。

なぜわざわざ銅版画で線を入れるのか質問したら
「線をできるだけ均質にしたいから」とのことでした。
なるほどね。。

さらに、(これは後からきいた話ですが)
絵から作った立体物をいざ撮影すると
絵のような写りにはならないことがしばしばで
絵のような写りにするためには、意外とアレンジが必要とのこと。

こういう再構築をしながらの「気づき」も
さきほどの
「描かれていなもの」の話にも通じるなあと思いましたね。

とにかく
すごい作家の展示を見られてかなり幸せな一日でした。

かなり寡作な作家とお見受けしましたが
次回、山田氏の作品を見る機会があったら
ぜひ見なくては!と思いました。

追記
何かの展覧会で、山田氏の「悦楽の園」の模型を展示したことがあるそうです。
ふと「絵と一緒に模型見てみたかったなあ」と思いましたが
自分の中で取り消しました。

たぶん模型を見ないほうが
色々なイマジネーションが膨らみますもんね


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