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セルフポートレート 私という他人@高橋コレクション日比谷

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「セルフポートレート 私という他人」@高橋コレクション日比谷へ。やっぱり高橋龍太郎先生のコレクションはいい。小さいながらもキュレーションがしっかりしているので、見ている者の心にぐっと来る。
一番面白かったのは、森村泰昌の作品。例によって、森村先生は名画と一体になってるのですが、この9つの顔それぞれが1人の人物である、というのミソ。1人の人物を構成する多面的な「他人としての私」がとてもよく表現されていると思います。というか本来そのような意味の作品ではないと思いますが、この作品を「セルフポートレート 私という他人」という展覧会に持ってくることで、この作品の持つ意味が全然違ってくる。テーマが、鑑賞者の心に飛び込んでくる、その妙が素晴らしいと思うのです。これこそがキュレータの存在意義でしょう!

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