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都築響一の世界@お台場

先々週の日曜お台場のカルカルで、都築響一さんのトークショウに行ってきました。

内容的にはかなり重いものでしたが、氏の活動の核心を突く素晴らしいものでした。

圧巻は、トークの最後に登場した「岐阜山中のエロ本小屋」の話。

詳細はリンク先をごらん頂くとして、概要を説明すると・・・
廃墟マニアの人が発見したこのエロ本小屋。どうやら、どこかからかこの場所にやってきて、主はひたすらにエロ本を切り刻む。そして帰っていくという行動を繰り返していたようです。
小屋の写真を見れば分かりますが、すべてのスクラップが「表向き」。その量たるや・・・凄い。

これはもう立派なアート作品といっても過言ではありません。

その廃墟マニアの人は数年にわたり、このエロ本小屋(およびその主)を定点観測し続けていたようです。
当然主は、マニアたちを避けつつ活動をし、廃墟マニアもヘタに彼の領域侵犯をすれば逃げられてしまうわけで
非常に微妙な「見る」「見られる」の関係があったようです。

ところが、主は突然ほぼ連日車の中に泊り込み状態でエロ本小屋でスクラップを切りまくるようになりました。

そして、ある日、廃墟マニアの人が、覗いてみると主は車の中で死亡していたそうです。

おそらく、主は自身の死期を知り、最期の瞬間までひたすらにエロ本小屋での作業に費やしたのだと思われます。

この話をきいたときに胸の奥がジンとして、世間から見れば奇妙なことをしている、孤独な人、不幸な人であったかもしれないけれど、幸福か否かは彼自身の問題でしかない。それを暴力的に発見し、侵犯してしまった我々のエゴみたいなものを感じました。

「~けれど幸せ」byひこうき雲

映画でいうと「パンズラビリンス」とか。
このブログでレビューしましたけれど。

そういう世界に通じるものを感じました。

カルカルの司会の方はこのエロ本小屋の主の話をきいて「ああ、日本のヘンリーダーガーだ」といっていましたけど、凄く的を得た表現だと思いました。
ヘンリーダーガーについては、こちらを。
名声や職業意識を前提としない、発表することも意識せず、ただひたすら「自分のためにだけ作った作品」。それを暴いてしまうことのエゴとか、責任とか。

都築氏は、秘宝館、イメクラ、TOKYO STYLE、珍日本紀行の世界など、それまで光が当てられることのなかった無名の人々の作品に着目し、それらと、一般的にアートと認められているものとを対比させながら、「なぜこれがアートとして評価されるのに、こちらはアートとして評価されないのか」を問うのを得意としますが・・・・

今回のトークショウでは、それに伴うおのれのエゴみたいなものを告白した。
そこが凄いと思いました。

都築氏、それに対する唯一の贖罪(?)というか、恩返しは、

「勇気をもらい、強く生きること。」

と言っていました。

うん、それしかなかろ。

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