はたちの頃
先日見た「3人いる!」で飴屋さんのことを書きながら、わたしが飴屋さんの作品に出会った20歳のことを思い出しました。
20歳のころ・・・当時大学生。よくよく考えると、わたしのコアになっているものは、ほとんど20歳ごろに出会っているなと思ったのです。
仕事でいえば、バイト先の上司から○○士(いまの仕事)を勧められたのも20歳の頃だったし、「技術の面白さ」みたいなものを教えてもらったのもその人でした。
あと、当時、村上春樹作品に出会って、むさぼるように読んでいたのですが、「世界の終わりと・・・・」に登場する計算士が、自分の将来の仕事像にも重なったんですよね。わたしが将来仕事をするとしたら、こんな感じ、というのを何となくイメージできて、で、今の仕事につながっていると思います。
それと、X、BUCK-TICK、筋肉少女帯が大好きで、ロッキングオンジャパンを愛読し、投稿していたのものこのころ。東京近郊のコンサートにも足しげく通い・・・・まさか、十数年後も彼らがこんなにも現役バリバリで活躍しているとは夢にも思わなかった・笑
そして、飴屋さんのほか、その後大活躍するアーティスト(会田誠、村上隆、八谷和彦など)を輩出した、伝説のギャラリ、レントゲン藝術研究所に通っていたのもこのころ。レントゲンのみならず、いろんなギャラリに足を運びましたが、やはりレントゲンは突出してました。
村上隆作品がこんなに高額で取引されるなんて、会田誠が現代美術史において、こんなに重要な人物になるなんて・・・・想像がつきませんでした。沢山の素晴らしい才能が集結していたギャラリでした。
映画もかなりみていて(ビデオも合わせると)、1年に100本は見ていたし、お芝居もよく見に行った。
雑誌は、スタジオボイス、宝島等を愛読し、サブカルチャーまっしぐらでした。大学の授業もかなりハードだったのに、趣味の部分でもかなり濃い活動をしていたようで、自分が自分で信じられない・笑
自分が何者かはまったく分からなかった。でも、自分が好きなものは分かっていてそれにむかってまっしぐらでした。
で、振り返ると、20歳で、いまの自分が好きなものには全部出会った。あとの人生で出てきたものでも、面白いものは沢山あるのですが、自分の感覚としては、コアな部分じゃないんですよね。その周囲を取り囲むものでしかない。
そのことに気づいてちょっと愕然としました。
岡田斗司夫曰く「好きということ自体、既に才能」
そういう風に何か好きなものに集中的にであう時期ってあると思うし、そういう時期をうまくキャッチできるのってすごく重要だなと思いました。
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コメント
すばらしい20歳だ(笑)
その後もアーティストが活躍しているってことは、
恵さんの見る目も本物だったわけですね。
投稿: ゆーぼー | 2009/08/16 07:57
ゆーぼーさん
私はたまたま目撃できだけで・笑
ホント、ラッキーでした。
これからも面白いと思ったものには積極的に歩み寄り、素晴らしい作品を目撃しつづけていきたいと思います。
投稿: 恵 | 2009/08/16 17:31