雨宮庸介 + 竹村京 展@東京ワンダーサイト渋谷
いよいよ梅雨明け!
アート鑑賞のフットワークも軽くなります♪
昨日は、中目黒の某美容室で髪をカットした後、雨宮庸介 + 竹村京 展@東京ワンダーサイトへ。
時間があまり無かったので雨宮さんの作品だけ駆け足で鑑賞。
なかなか面白い作品でした。
雨宮さんの作品を最初に見たのは2006年の「食と現代美術 part2―美食同源」かな。
ヨーロッパの静物画のような、雰囲気のある作品を作るな、と思ったのを記憶しています。
今回の作品も前回の「食と現代美術 part2―美食同源」と同様に、位相のズレをテーマにしています。
カエル、植物、林檎が置かれた部屋。その部屋の奥には、鏡(というか鏡のフレームの中に液晶モニタが仕込まれたもの)がかかっています。その鏡には、この部屋で撮影されたらしき映像が映し出されています。
これは、この部屋でついさっき起こった出来事なのか?
それとも、今この部屋とは別の部屋で起こっていることが同時中継されているのか?
はたまた、別次元で起こっている出来事なのか?
その鏡には、テーブルの中へ誰かが入っていく映像が映し出されています。
(自分は、分かっているけれども)
ふと、現実のテーブルに目を移し、思うのです。
「もしかして、あのテーブルから誰かが出てくるのではないか」
と。
鏡に映った世界が本当なのか、こちらの世界が本当なのか。
真実は、単なる時間のズレ。位相のズレでしかないけれど、鑑賞者に不思議な感覚を呼び起こさせます。
この展覧会では、もう1つの作品が展示されています。
基本的レトリックは同じなのでここでの説明を割愛しますが、私は、鑑賞後、自分がどこに行けばこの空間から出られるのかが分からなくなってしまいました・笑
なぜそうなったかは、行ってみれば分かります。
そんな私を察知した雨宮さん、私をさりげなく出口へ案内してくれました。
ありがとうございました。
追記☆
ただ、1つリクエストを言えば。
あの鏡に映し出された映像は、あのインスタレーションの部屋と、寸分たがわぬしつらえの「別の部屋」で撮影されたものであれば、完璧であったのではないかと思います。
(もし既にそうなっていたらゴメンナサイ)
別の部屋での出来事なのに、同じ対象物に対し、鑑賞者に
「もしかして、あのテーブルから誰かが出てくるのではないか」
と思わせられる・・・
そうしたら、しめたものです!
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